学校ブログ
「いのち」
昨日は、実の父親がを息を引き取ったため、お休みをいただくことになりました。
いろいろとご迷惑をおかけいたしました。
8月末に、体調不良が続いていたため、いやがる父を病院につれていき、そのまま入院となっていました。
一昨日、病院から病状の説明の呼び出しがありました。夕方病院に着くと医師から私一人で説明を受け、その後医師が父に説明する場に立ち会い、少し父と会話をして病院を後にしました。
その数時間後、夜中に病院から容態の急変を知らせる電話がなりました。実家に寄って母を車に乗せ、病院についたものの、息を引き取った後でした。いつ亡くなってもおかしくないと告げられていたものの、こんなに早く別れが訪れるとは全く予想しておらず、実感がないというのが、正直な気持ちです。
始業式の話の中で、「有り難う(ありがとう)」という意味について話をしましたが、当たり前になってしまうと、なかなか「有り難う」という思いを抱きにくくなります。
恥ずかしい話ですが、こうやってあっさりと当たり前にいた親がいなくなると、いかに親が生きていることが当たり前に思ってしまっていたかに気づかされ、反省しきりです。
父親の生涯ということを考えると、亡くなる間際まで人の手をほとんど借りず、自宅で過ごし、最後の最後は短期間の入院で生涯を終えました。「ピンピンコロリ」という言葉が言われていますが、まさにその通りの生涯だったように思います。
しかし、最後まで「自宅に帰りたい」と言っていましたので、最後の最後は父の理想通りではなかったのかもしれません。そう考えると、生きることは自分の思うままにはいかないものなのだと、改めて感じました。
だからこそ、1日1日を大切にして毎日を過ごしていかなければならないと強く誓った日でもありました。
何かを失って改めて実感をもって気づくことというのが多くあります。残念ながら、それが人間の性なのかもしれません。
心に響いたことを素直に受け止めて、心に浮かんだこと、思ったことを実現できるようにする。それは中学生でも大人でも大切にすべきことだと感じています。
「ありがとう」という気持ちを大切にしていきましょう。